木幡の幡祭り
二本松市(旧東和町)

 木幡の幡祭りは、日本三大幅祭りの一つといわれ、九百余年の歴史と伝統をもつお祭りです。白旗を先達に、赤、青、黄、緑と、色とりどりの五反旗、百数十本が勢揃いし、法螺貝を吹き鳴らしつつ木幡山の尾根を縦走します。

 この祭りの由来は、前九年の役の天喜三年(1055年)にまで遡ります。後冷泉天皇の命を受け、陸奥征伐に出向いた源頼義とその子八幡太郎義家(源義家)の率いる軍勢は、安達の川崎辺りでの戦いで、安倍貞任、宗任兄弟に敗れ、わずか数騎で阿武隈川を越えて逃れてきました。その当時は「外木幡」といったそうですが、今は「御所平」という所にある農家まで逃げて来て一夜の宿をとったのでした。

 すると、その夜、天女が夢枕に現れ、「ここから東方一里ばかりにある弁財天宮で祈願しなさい。そうすれぼ願いが叶うであろう。」と、お告げになりました。

 

 源頼義、八幡太郎義家父子らは、さっそく、昔「いさずめ」と言っていた今の木幡山へ馳せ参じ、神社で戦勝を祈願しました。一方、安倍頼時は、その子安倍貞任、宗任兄弟を従え、伊達の信夫に陣を構えたのでした。そしてその軍勢が追いかけて来たといいます。今の「針道」のところから、「下馬」という所まできたのだそうです。

 その夜は、旧暦の11月18日のことといいますから、木幡山の大杉は北の方に枝がなくて、南の方にばかり枝が付いていたのですが、それにどっさりと雪が降り積もりました。安倍兄弟は、敵を皆殺しにしてくれようと思って、勇んで攻めてきたのですが、下馬の所へきて見てみると、源氏の白旗で山がいっぱいになり、軍勢が大勢いるかのように見間違えてしまったのです。
 

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