長徳一年(995年)左近衛中将にまで昇った歌人の藤原実方朝臣は、殿上で大納言藤原行成と口論の末、笏で行成の冠を打ち落としてしまい、一条天皇の勘気に触れてしまいました。天皇から、「陸奥の国の歌枕を見て参れ。」と命ぜられ、陸奥守に任ぜられて下向してきました。
陸奥国に来て四年の間、各地に歌枕を尋ね歩いたが、阿古屋の松に限って所在が分からずにいたところ、阿武隈の東に六本松という名木があることを聞き、その地にいってみたがなかったのです。疲れ果てた実方がこの時詠んだ歌は、
「陸奥の 阿古屋の松をたずねかね 身は朽ち人となるぞ ものうき」でした。
小手森の樵明神は、実方の心をお憐れみになり、樵の老夫に身を変えて、疲れて倒れている実方の袖を引いて目を覚まさせ、次のように教えました。
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「陸奥の 阿古屋の松の木の高さに 出づべき月の
出るもやらねば の古歌の心で陸奥を訪ねるこの歌は、古い陸奥出羽が一つの国で陸奥と言っていた時に詠まれた歌である。その後、陸奥を割って出羽国が置かれたのであるが、阿古屋の松は出羽国にあるのだ。その地を探すがよい。」
実方は、出羽国に赴き、阿古屋の松を訪ねることが出来たのです。しかし、その帰途を急ぐあまり、岩沼(宮城県)辺りで落馬し、帰らぬ人となってしまったのです。
一方、都にある実方の留守宅では、歌枕をたずねて陸奥の国に行った主人の実方の安否を心配していました。幾年過ぎても帰って来ないばかりでなく、何の便りすらもないのです。実方の奥方である香野姫は、次第に生気もなくなり身は細るばかりでした。
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