およそ千四百年前の昔、敏達天皇の皇女に糠依姫という人がおりましたが、その陵墓である糠沢古墳が糠池の中央にあります。そこを往来する人々が社拝し額ずいたことが糠沢の地名の発祥であるといわれています。
また一説には、糠依姫は毎日、近くにある糠の油のようなものが出る池で髪を洗うのが日課になっていたといいます。糠の油のようなものが出る池というので、その他は「糠池」と呼ばれていました。
その後、ふとしたことから糠依姫は亡くなってしまいましたが、糠池の中央に丘を作り、身に着けていた物なども一緒に埋葬しました。これが糠沢古墳であると言います。今も中央部に塚が現存しています。高さは約二メートル、直径は約三メートルです。石碑もありますが、長い年月を経ているためか、残念ながら風化して文字を読み取ることはできません。
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付近の桑畑などからは、器や須恵器、石鍬や石器なども出土し、一帯は縄文時代から古代までの複合遺跡であるといえます。

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