菜ぶかし観音
二本松市(旧東和町)

 菜ぶかしとは、大根の葉や茎など刻んで赤飯に混ぜて炊いたものです。昔は米のない貧しい家では、このようにして食べたものです。

 昔むかしのこと、向いの方は天領桜田玄蕃の領地、こちらは安達二本松領ちょうど境の屋敷、この屋敷には田んぼは一枚もなかった。そんな昔のことだから、みんな貧乏な暮らしをしていたんだそうだ。その頃は向いの方には弁天様さ登る道や貞任の城などもあり、神社・お寺なんともあった頃なんだない。今思ってみっと大きな戦があった頃の話なんだが、静かになって良かったなあと思っていたんだっつが、雨が二日三晩降り続いた夜のこと、下の川あたりで、多勢の人達がこの屋敷の人達を呼んでいるような声がしたんだど。「この雨の中呼ぶなんてなあ、誰だんべ。」隣の家でも、隣の家でもみんなそう聞こえたので、恐る恐る声をたよりに行って見たんだと。こんな屋敷の人達がみんな戸に引付けられたように、夢を見ているように集まったそうな。松明であちこち探していると、黝い石の十に観音様が屋敷の方を向いて声をかけるような姿で立っていたんだど。

 

屋敷の人達は今迄気付かずいたんだが、大きな黝い石は丁度牛が寝ている姿だったんで、それからこの石を寝牛石として拝み、屋敷の人達は観音様は貧乏を救って下さることを信じ、屋敷の守り神として祀るごどになったんだない。お祀りするにも米もなく屋敷じゅう集めても足りないので、川の大根の菜を取って来て赤飯の中に入れて観音様さ供えたんだと。この観音様を祀ってから、どんどん暮らしがよくなったんだど。だげんちも昔のことを忘れないようにと、それからこの観音様を菜ぶかし観音様と言い、信仰されてきてない。それが現在の川面如意輪観音なんだそうだぞい。

  1/1 地図に戻る