座頭橋
二本松市(旧岩代町)

 昔、西勝田村山下に内平という盲目の人がいたそうだ。内平は、出水時の落橋の災いを取り除こうとしたが方法がなく、神仏に祈願し災害を取り除こうと思った。鎮守慈現明神の社に日夜こもり、満願の日に疲れ果て休むともなく寝入ってしまった。すると、衣冠束帯の高貴な方が枕元に立って、
 「そなたの志、殊勝に存ずるぞよ。されど内平、存生中にはその事成就難かるべし。そなたの命の絶えし時、そなたの事業は成るべきぞ。内平、夢疑うことなかれ。われはこれ慈現明神にてあるぞ。」
と、昔げたそうだ。内平は、畏れみて両手を合わせて涙ぐみ、さては夢ではない夢ならばこれぞ世にいう正夢であり、たしかに神の示現とあたりを見れば、尺ばかりの白銀なせる白蛇が神殿に向かって入る姿が盲目の目にも見えた。

 その年の秋の大雨に橋が落ち、人馬往来を悩ますとき、盲目の内平渡河の半ば足をすべらし、川に落ち、大水に流され、姿が見えなくなってしまった。人々は慌てて捜し、衣の裾を見付け、これは内平の死骸と引き上げたが、骸はなく衣類ばかりであった。

 

ところがその衣類の裾より白蛇がはい出て、見返り月返り鎮守めざして行ったという。

 内平が死んで数年後の文政7、8年、養子の弥平衛は、在家には実に珍しき利発者で、養父の遺志を継いで雷神山下を埋めたて水の流れを善導した。かけ渡した橋の渡り初めのその朝、尋(六尺、約1.8m)にも余る白蛇が橋の欄干をうれしげに行きつ戻りつ、幾度か打ち渡ったそうだ。その蛇を見ると目が無く、これぞ盲目の内平の無き魂が化けて蛇となって橋の完成を喜び、架橋の渡り初めをしたのだということになり、橋の名を「座頭橋」としたという。

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