玉井の由来
大玉村

 むかし、安達太良山のふもとの村の田んぼの片隅に井戸があったそうだ。ある晴れた暖かい日に、年老いた百姓夫婦が畑仕事をしていたが、疲れたので水を飲もうとひと休みした。そしておばあさんが井戸へ水汲みに行くと、井戸の中に何やら光るものがあるのを見つけた。おばあさんは、不思議に思いすぐおじいさんを連れて来て、二人で井戸の中の水を汲みあげた。何度も何度も汲みあげていると水は無くなり、井戸の中からとてもきれいな水晶の丸い玉が出てきた。

 おじいさんがその玉を庄屋さんの所へ持って行き、訳を詳しく話したところ、村中の人と相談の結果、井戸から玉が出たので「玉井」と呼ぶようになったと伝えられている。

 しかし江戸末期の天保年間の頃には、井戸の形態は失われてしまった。

 

 このことについて江戸時代に編纂された「相生集」には「相応寺の東南十町ばかりに玉井という井あり今菰蒲なんと生じ井の形はなし是村名の囚て起こる所以なりといへり」と記されている。

 明治時代に入り、村の有志により「玉井」の井戸も整備され、春秋二回盛大に祭りが行われた。現在は毎年四月八日「井戸の祭り」として行われている。

※この玉(直径3cm)は明治天皇巡行の際、天覧に供し、現在は「あだたらふるさとホール」に保存されている。

  1/1 地図に戻る