遠藤盛遠(文覚上人)巡錫の地
本宮市(旧本宮町・旧白沢村)・大王村

 はるか昔、承安のとき(平安時代末期)の物語です。

 遠藤時遠の息子に盛遠という若武者がおりました。盛遠には源渡という親友がおり、源渡の妻は袈裟御前と呼ばれた絶世の美人だったのです。盛遠は源渡の家を度々訪れるうち、袈裟御前を愛しいと思うようになってしまいました。

 盛遠が渡の家に通ううち想いはつのり、袈裟御前に自分の想いを打ち明けたのですが、袈裟御前はわが夫を思い、一人悩んだのです。そして盛遠は渡さえいなければと思うようになってしまい、袈裟御前も悩みながら私さえいなければという考えに陥っていきました。

 ある時、袈裟御前は渡を尋ねてきた盛遠に「夫渡は、いつもあの部屋に寝ている。」と語りかけたのでした。

 それを聞いた盛遠は自分の想いが通じたと思い込み、ある日夜陰に紛れて渡の寝所に忍び込み刀を振り下ろしてしまいました。

 

ところが、よくよく月明かりで見てみれば、盛遠に斬られたのは夫の身代わりとなって寝ていた袈裟御前だつたのです。その場から遁れた盛遠は、世の無常を感じ、亡き人の冥福を祈るため弓矢を捨て仏門に入り、剃髪して旅に出て、修行の道に救いを求めました。

 それから月日は巡り、・奥州に行脚の折り青田の殕森(現本宮町大宇青田宇殕森)を訪れたのでした。大名倉山の東に伸びた尾根の殕森の山は小さいながら、尾根の直ぐ下には夜露を凌ぐことの出来る岩窟があり、奥の山にほ大きな岩場もありました(今、岩窟の中には石の地蔵尊が安置されております)。

 盛遠はこの奥山の岩場で風雪に耐え、修行を重ねておったのです。そして、亡き人の冥福を祈りつつこの山の頂に錫杖を立てたのです。

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