抱付観音
本宮市(旧本宮町)

 ここの観音さまの起こりは、役の行者が開基したもので、鎮護国家の霊場です。行者が閼伽の水を汲もうと立ち寄ってみたところ、湧き出る泉は清く清々しいところだったのです。しばらく佇んでいた行者は、峰の中腹に紫雲のたなびくのを見て観世音の霊場であることを悟ったのでした。

 寿永年間には、源義経の御騎馬で墨黒という駒を、この地から出して国の平安に功績があったとのことです。夜の丑の刻ともなれば、葦毛の駒が池の波を蹴立てて渡り、駒のいななきの声がすることが度々あったといわれ、現に、それを見た者もいたそうです。

 その後、玄丘という僧がここに来て清水で口をすすぎ松の枝の下で睡眠をとっていたところ、仙人があらわれて、
「この山の中腹に大きな岩がそびえ立っている。あなたはそこに観世音の祠を建てて、上に正覚を求め、下に衆生を導きなさい。」
といったとき、玄丘は夢から醒めたのでした。

 

 さっそく山を登ってみれば丈六ほどの大きな岩がそびえ立っていて、その上に光明が射し輝いておりました。玄丘はそれを見て、心にやすらぎを受け礼拝したのです。そして、この地に祠を建てて観世音の尊像を安置しました。それから毎夜灯籠に明かりを灯し続けました。

 里の人びとは、玄丘のその思いに心を傾け、観世音に帰依して無病息災をひたすら祈りました。その願いはことごとくかなえられていたといわれます。

 天正年間、ここに土手を築き池を造り、田畑の用水としました。この清水はたとえ百日の日照りが続いても渇れることはなかったと、里の古老がいい伝えていました。八月の頃から、竜水神を迎えて祠り、日照りのときにはここで雨乞いの祈りをしておりました。
 

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