天正13年(1585年)、伊達改宗がこの地に兵を進めたとき、会津の兵は「この清水観世音は霊験あらたかな秘仏だから、自分の国へ持ってゆこう。」といい、糠塚池(清水泡)の土手の工事に来ていた役人が国へ帰るところだったので、工事人夫に背負わせて、持ち去ってしまいました。
会津の兵が観世音を持ち去ったその夜、天が震動。雷鳴して 一夜のうちに観世音の尊像が自然の大岩に現れて蘇ったのです(岩に抱かれて蘇った観世音──抱村観音のいわれです)。
その後、この地の領主であった蒲生氏郷公は山林を切り開き堂房を再建したのです。そのお堂には「清水堂」と書かれた額が掲げられていました。お堂は今、水の神社として建ててあり広く敬われています。
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