抱付観音
本宮市(旧本宮町)

 天正13年(1585年)、伊達改宗がこの地に兵を進めたとき、会津の兵は「この清水観世音は霊験あらたかな秘仏だから、自分の国へ持ってゆこう。」といい、糠塚池(清水泡)の土手の工事に来ていた役人が国へ帰るところだったので、工事人夫に背負わせて、持ち去ってしまいました。

 会津の兵が観世音を持ち去ったその夜、天が震動。雷鳴して 一夜のうちに観世音の尊像が自然の大岩に現れて蘇ったのです(岩に抱かれて蘇った観世音──抱村観音のいわれです)。

 その後、この地の領主であった蒲生氏郷公は山林を切り開き堂房を再建したのです。そのお堂には「清水堂」と書かれた額が掲げられていました。お堂は今、水の神社として建ててあり広く敬われています。

   堂房は雨露霜雪に侵され朽ち、かろうじて残っている草堂に人びとは参詣しています。里の古老のいうのには、幾度か野火で山林と境内が火災に遭遇しましたが、草堂は火災から免れておったとのことです。これは、仏カのなせる奇跡とでもいうのでしょうか。 この観世音は一段と貴い観世音とされています。大きな災難が降り掛かっても、大海の大波が全てを覆うように消滅させてしまうのです。祈願すれば呪いやあらゆる悪疫から遁れられ、病から衆生を救い、牛馬の蹄にいたるまで神通方を発揮して、生きとし生けるものを教え導くカを持っているのです。
 
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