稚児舞台秘話
二本松市(旧東和町・旧安達町)

 この話は、いまから約九百五十年ほど前のこと、安倍頼時が国司に従わず、奥州で前九年の役(永承6年・1051)が起こったときの話です。

 陸奥守兼鎮守府将軍源頼義に従い、安倍氏征伐にきた八幡太郎義家(源義家)は、岩山のある阿武隈川の東岸に陣をとり、岩蔵・島山の険しい場所に白旗をなびかせました。

 一方、奥州の豪族安倍氏らの軍勢は、城とも見える大きな石を前にした岩の上に陣を敷き、対峙したのです。相対して戦うこと数十日は、毎日激しい弓矢の合戦が繰り返されておったのです。

 阿武隈川の逆巻く激流を前に攻防は持久戦に入り、敵の兵も味方の兵たちにも疲れが見え始めていました。そんなある日のことです、東岸の絶壁に立って源氏の兵どもが

 

「おい、安倍一族よ、奥州でこそ豪族だと威張っているが、礼儀も行儀も知らないやつらだ。おおい、よく聞け。今は京の都ではな、稚児でさえ舞を舞うようじゃ。お前たちの陣は、こちらから見ればまるで舞台のようだ。悔しかったら舞って見せよ。」
とはやし出したのです。

 一族の長・安倍貞任はこれを聞いて激怒、敵の前に嫌がる二人の娘を、稚児の姿に装いたてて舞台とも見える岩の上にあげ、舞いをまわせたのでした。

 時は四月、辺りは伸びはじめた松の緑、銀の糸をなびくようにも見える雪柳の花。薄紅色に咲いた桜が映え、戦いなど忘れてしまったような平和な美しさでした。

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