閑哉竹
二本松市(旧岩代町)

 1858年(安政5)の秋当地に大洪水があった。土堤は崩れ田畑は埋まり家屋の押流されたものもあった。村の移川筋が最も甚だしかった。惨憺たるその様を見て閑哉は水害防止の計を思慮した。木半夏樹(ぎみのき)がよいか、楊樹(やなぎ)がよいか、それとも胡桃樹(くるみ)かp莢樹(さいかち)か、何がよいか翁はいろいろ思い浮かべた。

 以前九州地方を漫遊した時、大隅の国(鹿児島県)の某村で台明竹が、河岸に多く植え付けられてあったことを思い出した。けれども当地方にはその竹もなければ苗もない。そこで苦辛してその苗を逮く大隅から取り寄せて、川筋に植え付けさせた。竹の邪魔になる所には楊樹を植えさせた。すると数年にしてその効果が現れ、隣村の皆々もこれに倣って植えた。

 

 台明竹は根張りは繁く根は強く、幹は本末大差なく水勢に逆らわない。翁は村内隈なく巡り、青年を指導奨励植林し水害予防事業対策をした。今でも、移川の河岸には台明竹が植えられている。村人は翁の遺徳を仰いで、台明竹を「閑哉竹」と称するようになった。

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