岩角山の由来
本宮市(旧白沢村)

 天台宗第四祖慈覚大師が時の帝の勅許を得て末だ日本に渡来しなかった仏教の奥義を学びに唐の国に渡りました。

 その帰航の折、海上風波荒く難破しそうになったとき、大師は天を仰ぎひたすら祈願を込めると、こつ然として甲冑を身につけた偉丈夫が船首に現われ、船は無事守護されました。この偉丈夫こそ毘沙門天王でありました。大師は深くその功徳を感じ、いつかは尊天像を彫刻し霊場に安置し奉らんと心に堅く誓われて諸国を行脚されました。

 はるかに東北地方御巡錫の際、岩角山の麓に至りてその地形を考察しておりましたところ、幾千の快光南天より飛来し、この山に止り、金光さん然として四方に輝き紫雲霞の如くたなびき、虚空にこつ然として尊天が現れましたので、宿願の霊場はこの山なりと三、七は二十一日の水行を行い、一刀三礼の上彫刻されたのが、御丈一丈(約2m)の開運毘沙門天王であります。

 

 大師が岩角山に入り開基されたのが、人皇五十五代文徳天皇の八五一年(仁寿元)尊天を安置されたのが第五十六代清和天皇の860年(貞観2)と伝えられております。

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