岩井の清水と八幡太郎義家(源義家)の伝説
本宮市(旧本宮町)

 古い昔の話です。八幡太郎義家の軍が奥州の戦いに参戦したときのことです。

 都から従ってきた兵や土地で参戦した兵の大勢を率いてこの地に来たのです。徒の兵にとっての遠征は大変な苦労をともなうものなのです。多くの山を越え川を渡り、遠い道のりを歩きとおし戦うのです。そして、ここを通りかかったとき、兵がしきりにのどの渇きをうったえたので、八幡太郎義家がヤジリで掘ったところ、こんこんと清い水が湧き出たそうです。それが、今にいう岩井の清水なのだそうです。

 また、別の話も伝えられています。それは八幡太郎義家が熊と間違えて射た矢が岩を貫き、その岩から清水が湧き出たと。義家はそれほどの強弓を引く力を持っていたのです。

 八幡太郎義家は弓矢の名手で、とくに騎射はその右にでる者がいなかったそうです。

 

このことを物語るもう一つの話がこの近くにあるのです。大名倉山の東の尾根の突端の蛇ノ鼻というところの山の中腹に、八幡太郎義家駒留の石が雑本林の中にあるのです。

 この岩の上には馬の蹄の形のくぼみがいくつか見られます。八幡太郎義家がこの岩に馬の足を踏張らせて、東へ向けて矢を放ったのだそうです。その矢は、うなりをあげて飛んでゆき、いくつもの山を越えて、白岩の堤崎まで飛んでいったのです。

 放たれた矢は鏑矢というもので、矢の先端の鏑にこの地の杉の実を詰め込んだものだったのです。杉の実はその地に芽吹き、千年近くをへて大木に育ち、今ではここの三渡神社(小祠)の神木として祀られているのです。

※矢を放った蛇ノ鼻は、江戸期までは「矢ノ鼻」と呼ばれていた土地でした。矢ノ鼻とは、峰の突端(鼻先)から矢を放ったという意味のようです。
 

  1/2 次のページへ
地図に戻る