古老がいうには、
「ここは大昔は湖だった。ある年、降り続いた大雨のときにな、寄せ来る水の重みに耐えらんにゃくなってな、今の大川(阿武隈川)の下流の大岩が崩っちな、湖の水が流れだして阿武隈川ができたんだ。」
さらに話は続き
「んだがら、本宮の底を掘っと亜炭(褐炭)出てくんだぞ。」
「亜炭ってわがっか、湖の底に生えてえだ水草がな、湖の水が引くどきに泥かぶってな、そのまま埋まって炭になったやづだ。」
「亜炭はな、掴むど手は泥だらげになっけどな、テンピに干すとな、薪の代わりになんだわ」
「爺ちゃん、亜炭は焚いだごどあんのが。」
「ん、んだげんとな、亜炭はな、煙は出るし臭いしな、そんでも薪買うよりはええべ、ただ(無料)なんだがんな。」
と語って聞かせたものです。
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※水堺=地方では……「みっつぁかい」と呼ばれ、分水嶺のある場所に多く使われる地名です。
中江=近年まで存在した地名で、伝説湖の北部の大地の一部
大江=現在の大玉村は大江村と椚山村が合併して大山村に、大山村と玉井村が合併して大玉村が成立しました。
褐炭=伝説湖の底だったと言われる場所に層をなしている。第二次世界大戦の頃は薪にも不自由し、この褐炭を掘っては乾かして薪代用にしたものです。
阿武隈川右岸=高木の阿武隈川淵は、数年にわたる発掘調査の結果、縄文・弥生・奈良・平安時代の遺跡(主に住居跡)が層をなしておることが判明しました。歴史の中で幾度もの洪水からか、土砂が堆積しその上に遺跡層をつくっています。
※本宮湖伝説は江戸期に書かれた地誌「相生集「からの要約
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