昔と言っても、今から凡そ二百年前、岩代の国安達郡原瀬村に、春五郎と言う若い百姓がおりました。父親は若くして亡くなり、しっかり者の母親と二人で、朝は早くから山草刈りに、夜は星空になってから家に帰って来るというように、大変な働き者でした。
或る年、小関という集落から、おはんというこれまた働きもののお嫁さんが、近所の人のお世話で来ました。それから後、春五郎は以前にも増して働くようになりました。二人は暗いうちに起きて、才木の奥の山に出掛けて草を刈り、背中にしょって山を下って来る頃、漸く東の空が明るくなるのでした。タ方、西の岳山(安達太良山)に人陽が沈みタ闇が春五郎夫婦におおいかぶさり、空に小判より輝きを増した星が出てくると、やっと野良仕事が終わるのでした。
タ御飯を食べ終わると、春五郎は藁仕事の蓑作りに、おはんは針仕事に、夜のふけるのも忘れて働きました。
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将来の事や、生まれて来る子供の事等楽しく語り合うのでした。こんなに働き者で近所の人からもえらく評判のよいお嫁さんでも、母親には気に入られず、かせぎ(働き)が足りないと愚痴をこぼすのを聞いて、心を曇らせていました。
おはんが一年に一回か二回、里(生家に行かれる八月のお盆がきました。朝になって、いそいそと支度をしていますと、母親は「おれが嫁に来た頃は里に行けなかった。今の若い者は働きたがらなく遊ぶ事を考えている。」等いやがらせが聞こえるようにぶつぶつ言うのでした。

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