機織御前姫と亀石
二本松市(旧安達町)

 嘆き悲しむ乳母、しかしそれを見た僧侶らのはからいで、御前姫の塚と稚児の塚ができました。御前姫は機織を十手にこなしましたので、機織御前姫と、今日にその名を残すことになります。

 

 また「稚児舞台」の前の流れに頭を出す岩々の一つに、見るからに亀を連想させる岩があります。御前姫が乗った大亀がそのまま岩と化したものといわれております。

※現・東和町太田の「二子塚」の宇名は、御前姫親子の塚地からの呼称であると伝えられています。

※乳母は没後・姥神様に祀られました。(地名・川口)

※「稚児舞台」の地名は、この岩場で稚児を舞わせた舞台としたことからの命名といわれております。
 しかしもう一説に「積達遊覧誌」の記述を挙げます「名義八往年ウせしトキ、此ノ石上に桟敷ヲ設ケ児童ヲシテ舞八シメタル二ヨリノ引名ナリ」とあるそうです。
 「?」は「ウ」と読みますが「雨乞い」という意味です。つまり「雨乞い」祈りに、児童を踊らせた舞台であった、ということからの「稚児舞台」であったとの指摘です。

※児子・稚児は同義です。

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