昔むかし、慈覚大師(円仁)というそれはそれは偉いお坊さんがおりました。
大師は東北地方に仏教を弘めるために出羽(山形・秋田県)の国をめざしてやって来ました。油井の裏山の道は、その頃はわき道だったので大師は大変にお疲れになり、笈(修業僧などが仏具や衣服を入れて背負う箱で四木の足がある)を下ろしてお休みになりました。
すると、大きな白蛇がでてきて、大師が自分で彫った毘沙門天を納めていた笈にぐるぐると、きついたのでした。この様子を見て大師は、
「この土地は、仏法に緑のある土地に違いない。」
と思われ、里人に勧めて一棟のお堂を建て、
「白蛇明神」の横額を書き、笈仏の本尊「毘沙門天」を勧請(お迎え祀る)して、この上もなくめでたい兆しがあるという「吉祥院」と名づけられて立ち去りました。
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それから何百年か過ぎた頃、兄源頼朝に迫われ奥州平泉に落ちのびる途中の義経と弁慶主従が、この吉祥院に立ち寄り昼食を所望しました。吉祥院では貯えておいた米を炊いてご馳走しました。

食べ終えた弁慶は、
「ときに、この寺は何という寺ですか。」
と尋ねました。
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