かま石の由来
二本松市(旧東和町)

 前九年の役とは、11世紀の中期、中央政府に反抗した陸奥の豪族安倍頼時を、源頼義と義家父子が命を受けて討伐した戦役である。安倍氏は勢いに乗じて、しばしば中央政府に服さず、奥守藤原登任もこれを抑えることが出来なかった。そこで中央では1051年(永承六)源頼義を陸奥守兼鎮守府将軍として討伐派遣した。戦いは長期にわたる苦戦の末1062年(康平5)、頼時の子貞任を討って鎮定した。

 この戦いで源氏の勢力は東国に盛んになった。しかし、初戦では源義家は戦いに利なく、兵士の多くは戦死し僅かに主従七騎で退却。旧十一月の中旬のある夜、雪の中を農家を訪ね一夜の宿を乞うた。家人はこれを哀れみ、粟粥をつくる事にしたが、かまどの小さいのを見た義家は、家来に命じて、大きい石を二つ運ばせて、石のかまどを作らせ、これで粟粥を炊き腹いっぱい食べた。そのうち疲れが出て、その家に寝てしまった。

 

 

 その夜の事である。「ここより一里余り東の方に弁才天という神様の社がある。その処に行き、神仏の加護を受け再起すれば勝利を得ること疑いなし。」との夢のお告げに義家は、はっと目が覚め「神仏は吾れを捨て給う事がないのだ。」と合掌した。その夜は、雪が一尺五寸位(50cm弱)降ったと伝えられている。


 

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